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Finders Course~ハートが開く、愛と至福のロケーション3

根源的な幸福感、ロケーションの3つ目の段階、ロケーション3は思考の枠とかネガティブな感情から解放され、今ここという感覚や内的平和の感覚、幸福感がさらに深まってきます。かいつまんでご紹介するとこんな感じです(参考図書「The Finders」)

●幸福感、至福、愛といった高次の感覚の混合のような感情に占められてゆく。ネガティブな感情の断片はまれに感じられるものの、感情をフルで味わうことはなく、それも通常はこのロケーションの初期段階において、何か大きなインパクトのある精神的状況があれば引き起こされるものでしかない。


●経験することのなかに、神聖さを感じる。哲学者が汎神的経験というような、普遍的にあらゆるものに神聖さをみる。

●ロケーション2の一元とかワンネスの感覚はシフトし、深いつながりと、統合を感じる。つまり若干のセルフが戻ってくる。

●キリスト教でいうキリストや神、精霊や、三位一体との統合、汎神論者は汎神的なあらゆるものに行き渡っている意識との統合を感じるかもしれない。この体験は伝統的な宗教における至高体験とみられる。

●承認欲求はさらに減少しているものの、外のものに触れ、積極的に人や組織に手を差し伸べに行く傾向がある。(例外的に、より深い真実に基づいて、そのシチュエーションで何がなされるべきか、という強いこだわり感覚をもつために、他者がともにいるのが困難になるケースも稀にあるらしい)

●物事が基本的に大丈夫であるという感覚は、常に前面にあるだけでなく、加速する。誰の中からも祝福が輝き出ているように見える。世界に対する完全さの感覚は深度を増す。なにもかもがありのままで完全であるという感覚がある。

~人間が感じうる幸福の頂点がこれに違いないと感じられるような、心理学が追い求めてきたポジティブな人間体験の特徴は、おおかたこのロケーションにあるとされています。

私自身この感覚は、イベントに大勢の人たちが集まってくれて、感動を分かち合ってくれた時に絵も言われない高揚感や幸福感、神聖さを感じますが、この感じがそれに近いように思っています。

日常の中でそこまで強くこの感覚を感じることは、いまだに「ふっと」した瞬間に人や世界に対して湧き出る、そういう≪垣間見る≫程度にとどまっているようです。

ただ、コースで瞑想をしっかりやりこんでいると、瞑想中に自分自身のハートがすべてを愛で包み込んでいるような至福感に浸ることがしばしばあります。

そんな時に得た気づきは、「ただ座っているだけで、何があっても、何がなくても幸せでいられる」ということ。

人は、何かを得なくては、何か特別なものを達成したり、欲しい状況にならないと幸せになれないって思いがちなのですが、実はそれはあまり関係がなくて、状況が何であれ幸せを感じることができる。

幸せな状態になることができる。

それが真理なのだということが腑に落ちました。

ここまでくると、何もしなくなるかというとそうではなくて、むしろ失っても失敗しても幸せであり続けられるわけだから、執着や恐れなく欲しいな、やりたいな、ということに躊躇なく、大胆に気楽に向かっていくことができます。

もちろん、体験は人によってさまざまでしょうけれど・・

何があってもなくても幸せでいられる確信。

これは私自身、ファインダーズで得た最大の気づきの一つだったように思います。

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